偶像神話

イラストレーターの雑記です

顔のない天使のイラストを描きました!

こんにちは!えびめです。イラストレーターになるべく修行中。

今回は「顔のない天使(醜形恐怖症)」を描きました。

 

顔のない天使(醜形恐怖症)

自身の経験も少し入っていますが、顔のない天使(醜形恐怖症)とあるのは、だれしも生まれたときから顔の比較をされてきたと思います。
世の中には、幼少期から顔の否定をされて自分と他人の顔、親の顔すら見れなくなってしまった人間もいます。
そういう人は、自分の顔すら鏡で見てもどんな顔か判断できなくなっていきます。
他人の顔の美醜もわからず自分の顔もわからず、比較もできないというよりしない。
顔そのものを見ることに恐怖を覚えているから。そんな呪いをかけられた天使は、顔がありません。


でも神は知っています。その天使がこの世で一番美しいことを。


この醜い世の中にうまれた人は、みな天使です。
謀反を起こし天から落ちようとも、冷淡に人を殺そうとも、アザゼルのように人間の娘の美しさに魅了され堕天しようとも。
人を愛することは、神に背くことだから。

 

残酷な神ほど、天使の顔をつぶすんでしょうね。

いつか天使が自分の顔を取り戻すことを願います。

人形の部屋を作る

猫を飼い始めたので、amazonで折りたたみチェストを購入。

なんか届いたのはAmazonの画像と違う気がするが気にしない。

 

チェストに人形を並べます。猫の力では開けることができないでしょう。

天井にはセリアで購入した押しボタン式ライトをつけました。LEDだからあかるいです。

 

 

スマホでもくっきり撮れます!

 

 

ミニチュア小物類を入れて…。

意外とセリアドールの「ドル活」のほうはあまりドール用の小物とサイズが合わないですよね。

 

 

 

ちなみにライトをつけたまま扉を閉めるとこんな感じ。

ドールの世界って感じで素敵。猫の誤飲も防げて裁縫道具も下の段にいれられて安心。

 

 

セリアドールたち

こんにちは!以前にセリアドールのカスタムヘッドを購入していたのですが、クオリティが高くほれぼれ。褐色だし。

 

カインくん

最初の子はシキミという女の子でした。これもメルカリで購入。

シキミ


しかし、猫を飼うことになり、ドールたちをそのまま出しているわけにも行かず。

セリアという手軽なショップだけあり可能性も無限大で楽しいのですっかりはまっちゃいました。やめるわけにはいかないけれど小さなパーツの誤飲も心配。

 

こちらもカインの作者さんのカスタム。

 

アンナ

 

シキミの作者さんが不明なのですよね😿

純日記が好きだ

もういくつのころから日記を書いていたのか覚えていない。毎日日記を書く人間は稀らしい。わたしは、毎日何冊もの日記に書き込んでいる。多忙な日なのかと言えばそうでもない。

朝起きて書くことが日記というだけだ。毎日日記を書いていれば日々のことも大人になって似通ってくる。そうしたわけで、日記なのにエッセイのようにもなってしまう。

考えたこと、気付いたことを書いていくだけになる。家族すら登場しなくなる。家族まで登場させたら膨大なことになってしまう。さて、わたしが日記が好きなのは手書きであればWEBの波にさらされることもなくすらすらと書いて安心できるからだ。

旦那が日記は大切だと喜んでいたが増殖していく日記に、「少し、整理しようか」とぽつりとつぶやいた。

眠気の残る朝に、スリップから服に着替えて換気をする。花を咲かせていた白い椿の蜂はすべての花を落として夏の準備をしていた。月下美人はまだ二年目だ。花を咲かせる気はないだろう。珈琲を慎重にドリップしながら猫のきなこと触れ合う。

猫のきなこは、保護猫にして血統種である。なぜそんな高級な猫がこの侘しさ漂う我が家に来ることになったのかは不明である。譲渡してくれた方によると非常にあまえんぼうで、一緒に時間を過ごしてくれる人でないと寂しがってしまうとのことである。

サイベリアンというロシアの猫で愛らしい顔と、おしゃべりである。

一人でずっとしゃべっており上品で粗相もせず、お嬢様然としている。

あまえんぼうぶりは素晴らしく、わたしにしか懐かないのだが一日中べっとりしていないと不安みたいである。わたしが薔薇が浮かび上がるランプシェードのライトをつけると朝の準備だと喜び、飛び跳ねている。

 

椿は「椿夫人」と名前を付けていた。来年また花を咲かせてくれるだろう。

 

 

わたしといえば、幽鬱に囚われていてあまり楽しくない。

甘いものが少し食べたくなったが、一度甘いものばかり食べてしまい太ったので自重している。なぜ甘いものを狂ったように食べたのか。砂糖には依存性があり、辛党のわたしは安い箱菓子に手を出して食べてみたのだ。美味しくは感じないがイライラを緩和する気がした。しかし、それが習慣のようになったころおそろしい孤独感が襲うようになった。

 

孤独感の正体がわからず、無心で口にチョコレートのお菓子を運んでいた。

今は甘いものは断ち、孤独感は消え失せた。体は孤独感ではなく「砂糖」を欲しがっていたのかもしれない。ぞっとして暴飲暴食はやめることにした。