服に幻想を抱けないもの

昔、「安物ばかり着ていると品性を疑われるよ」ともう縁のない女性に言われた。

わたしは安物の服が好きなのか、と言われるとそういうわけではない。

 

服は延々と探していても自分の好みに合わなければ安くても買わない。

もしくは好みに合っていても縫製が心配だとか来年も着れるのかと思ったら五千円を超えていたら買わない。銀座で服をあつらえるなんてことができる家庭ではなかった。

おそらくともに住んでいた人はそうしていたのかもしれないが。

わたしはそういったものに興味はなかった。おもしろいことにわたしはこれでも服飾専門学校に進み、デザイナーになろうとしたことがある。一年で辞めてしまったが。

安い服だろうが、高い服だろうが似合わせるのは平均的な体系である。ほとんどの服は標準の体系で想定されている。おなかが異様に出ていたりそういう体系には作られていない。服は30代後半から似合わなくなる。腕についたぜい肉は胸元だけでなくいろいろな部分を盛り上げるので40代からは腕を出したほうが無難であろう。

ちなみにその肉を海外では「ビンゴウィング」と言うそうである。ビンゴ大会で当たった時に手を振ると揺れるからである。なんとも失礼なネーミングである。

 

高い服をあつらえてお腹のぜい肉を隠すこともできるだろう。

わたし自身は古着屋に良く行く。古着のなかにはタックの脇にこっそりしのばせたギャザーの部分がある。仕上げで見えなくなるがこの素材であればこっそりと膨らんだお腹を隠せるような縫製である。このような縫製もする余裕はないであろう。

安物買いの銭失いだ、というのはわかるが安物の服でも買ってくれないともう服業界は回らなくなってしまう。そして若い子が口をそろえて言うのは、デザインは安い服の方が好きなのだ。確かに、レトロや若い子には物珍しいレトロモダン、ブラウスにしてもイギリスの昔の胸元からインスピレーションを受けたかのようなものもある。

 

幻想であり、夢が安い服にある。

対して高い服には縫製の良さがある。見えない部分である。おそらくいくら縫製のよさを語っても難しいであろう。

服が好きな人が求めているのは浪漫なのだから。安いといえど浪漫を感じてしまえば女性は服をカートに入れてしまう。

 

わたしも、安い服ばかり着ているとは思う。昔「高そうな服ばかり着ている」と言われたことがあった。韓国の服だが自力で探しているので個人のセレクトショップなどで購入している。縫製はチェックされているのでひどい服に出会ったことはない。

たぶん、同じ服が見当たらないのもあるのだろう。

 

服飾に行って感じたことであるが、モデルが美人であれば服の縫製なんてアートになるのだからわたしは服飾をやめたのだ。結局は、プチプラでもモデル次第である。

 

だったら、服にロマンや幻想を抱いて安い服でも楽しんで自分の許せる範囲で楽しめばいいではないか。かの森茉莉も、安い服を着ているだの「自己陶酔」だの室尾犀星に言われたものだが、高価なものでなければいけないということもない。

もちろん、きちんとしたシーンの服というのもあるのだろうがそもそも喪服すら手が届かない世代がいることに気づいてほしい。

 

そんなことを思いながら、「安い喪服だけは着てこないでよ、恥ずかしいから」と送られてきた喪服を雑にクローゼットに押し込んだ。

夢も浪漫も品もない。

 

 

服に陶酔できないことは悲しいことである。