【読書】デンジャラス 桐生夏生著

谷崎潤一郎は「痴人の愛」「春琴抄」で知られる作家である。デンジャラスの作中の谷崎は「フェミニスト」と公言しているようだが、どうみてもサディストである。谷崎の文学は好きだが粘度がないように感じる。痛快なユーモラスさであって美しく塗り固められた虚構の城。
デンジャラスはそれをあぶり出している小説である。
一流の都会人が小説家になるときに苦悶するのは、浮世離れした小説になることである。そこには村上春樹と同じ匂いを感ずるものがある。

谷崎は家庭で暴君と振る舞うが、虚構に生きる谷崎を支えるのは女性たちであった。虚構を描けるのは女性という現実を自分の代わりに見る存在がいたからである。しかし谷崎は女性を幻想の目で文学化しては放り投げた。泥臭さのない谷崎の文学は官能はありつつもどこか、若い少年の猥文に似ている気がした。
壮年の男性が読んだ時に、谷崎は本当の意味で女を知らないーと言えるのであろうか。
この小説の中で一番恐ろしいのは、重子である。谷崎の文学に翻弄されつつも、谷崎にどこか辛辣な目線を向けている。「文学として消化せよー重子は自らが生贄になったからこその誰よりも谷崎に厳しい読者であり谷崎王国を壊す準備もすぐにできた人物だったのではないか。
重子は気づいている。谷崎は女を愛せないことを。谷崎の老年の作品は川端康成の「眠れる美女」と対照的である。
自分が老いたという世界に向き合わぬ谷崎。周りの人間から何かを吸収しようと躍起になる。
私が作家という道に戸惑いを覚え筆を止めるのはこれが理由である。私もすぐ身近な人物を餌食にする癖があり小説の類は公開していない。
谷崎は罪悪感がなかったのであろう。


しかし重子は作中で鉄槌を喰らわせた。
「芸術のため」という言い訳を許せないわけである。重子は生贄でありだからこそ生贄として谷崎には次の生贄をきちんと書かねばならなかった。しかし谷崎は幻想に逃げ小説から逃げた。芸術の罪から逃げようとした。人の心を潰した分だけ重子は、谷崎にとってはさらに血を流して傑作を生めと静かに微笑む恐怖であったのではないか。